とるころーるの備忘録日記

なんかもうごちゃまぜ

VOICARION Ⅲ 信長の犬 感想 物語編

2018 9/2 夜 博多座にて。

VOICARION Ⅲ 信長の犬、見てきました。藤沢朗読劇。

そんなわけでネタバレごりごりの感想です。クソ長い。

 

途中でいろんなセリフを引用しますが、うろ覚えですので悪しからず。何なら間違ってるところもあるかもしれないです

そして私が見たのは千秋楽のみ。です。

今すぐもう一回見たい

 

まずは藤沢先生の公演前のブログの数々(このブログ内にリンクがさらにあります)↓

「信長の犬」と願い | 藤沢文翁オフィシャルブログ Powered by Ameba

 

千秋楽を迎えた後の藤沢先生のブログ↓

VOICARION「信長の犬」千秋楽 | 藤沢文翁オフィシャルブログ Powered by Ameba

 

 

1.物語全体の感想

a. 「犬」という言葉

「犬」という言葉って、「主従」という意味を日本語では含むと思うんですよ。しもべ的な、少し侮蔑的なニュアンスが入る...と思う。普通は。

そういう、普通なら少し侮蔑的なニュアンスが入るはずの単語がキーになっている、題名になっているというのがすごく印象的でした。今回のルキフェルはそういう、「犬」ではないから...

 

b. 主従のかたち 関係性編

主従のかたちがたくさん描かれてましたね。

 

b-1 信長とルキフェル

THE 王道の主従。主従という名目、飼い主とペットという名目なのかもしれないが、そんな名目をつけるような上下関係はなく、名前をつけられない関係性...仲間、同志のような?感じ。

 

信長に対し、「お前は世界の王になるのか」ということをルキフェルが聞いたとき、普通は「yes」「no」のどちらかのはずですが、信長はどちらでもなかった。

「"一緒に"世界を見よう」

と言ったわけです。ここがものすごーーーーく印象的だった。

世界の王になる信長についていくルキフェルはやっぱり主従でしょう?だけど、「一緒」なんですよ。対等。ここが最高でした。ああ、あくまで対等なんだって。はあ、、、、幸せになって、、、、、なったけど、、、、、、、

 

だからこそ、あとで信長が自身の死に際してルキフェルに言う「お前はこの信長の犬なのだから」大丈夫だ、東へ行け、という言葉が響く。

信長の犬、そう、ここで「犬」という言葉を対等な関係性に使う。ここでは普段辞書的に使う侮蔑的な意味は一切ないんですよ。そこに泣いてしまった(いや深読みなのかもしれないけどね...だって実際、ルキフェルは犬だし...でも勝手に解釈して深読みするのが好きなだけだから許してくれ...)。

 

b-2 多門と資正

こういう主従関係大好きなんだよーーーー!!!!!ウワーーーーーー!!!幼馴染ーーー!!!!!

基本的に多門がいつも注意しまくってる(ここの石田さんの眉間のシワ万歳。眉間のシワ、万歳)のに、資正をいざ馬鹿にされると、静かに怒る多門。ありがとう。生きててよかった。みんながギュンギュン来たところだと思ってる。

 

多門の、資正を怒るときの眉間のシワもいいけど、石田さんの優しい〜目線も良かった。瑠璃丸がいなくなって寂しいとか、そのあたりの。はあ。目線で語られるとだめなんだよ〜泣いてしまうんだ〜〜〜

 

えーっと、、、

ここの二人は乳飲み子なわけですね。つまり言ってしまえば武家としての主従。しかも父以前の代から主従なわけで、この時代で最も普通の主従なわけですよね。典型。

 

b-3 信長と秀吉

ここだけが唯一異質な主従関係。

本来秀吉は信長が好きで、主と信じて疑わなかったはずです。「信長のために生きたい」「信長のために死にたい」、いずれにしろ、「信長のために」が本来はあるはず。

それなのに、いつの間にかそれが消えて、「信長になりたい」になってしまっていた。

 

「信長になりたい」のはなぜかと言えば、それはもはや「信長のため」「主君のため」ではない。「自分のため」なわけですね。

 

先ほどb-1で挙げたシーン、信長の「世界を一緒に見よう」というところ。

秀吉は千利休に対し、「朝鮮を、明を征服する」、つまり「世界の王」になりたいと語るわけです。

信長と秀吉の違い。ここがまた対照的だな、と。

 

つまり、「信長になりたい自分」は「信長にはなれない」という残酷な事実。

日輪のような人間が月を追ううちに闇になってしまった...と。

 

しかも、秀吉はそこに自覚的ですよね。時折寂しそうにする。郷愁をのぞかせる。「殺しちまった」と後悔すら見せてしまう。

 

つまりなりたくない自分になっている事実に気づいてる。

ここが辛いんだよーーーーー!!!!アーーーー!!!!!辛!!!!浮き世つら!!!!マジミツバねえさまが送ってきた煎餅(まえもち)くらい辛いんだよ!!!!!土方も泣いちゃうよ!!!!!!

 

秀吉が最後まで自覚的じゃない(つまり、なりたくない自分になってる、と気付いていないで、ただひたすら悪の道を「正しい」と信じて突き進む)方が憎めたのに、、、!!!

こうやって郷愁を見せるの。後悔を見せるの。寂しそうな目をするの。だから憎めない!!!!!秀吉!!!!!!!

天下泰平という目的のためには中国大返し(10日で光秀を討ちに帰ったやつです)をやっちゃうんだよ!!!!!

 

はい。だからまあ、これは余談だけど、秀吉は中国大返しのとき何を思ったのかなと思いました。

だってなりたかった主君(信長)を秀吉が唆して光秀に討たせたわけでしょ。

で、その光秀を、主君(信長)の仇!として討つっていうのはさ、もう決定的に戻ってこられないところまで来てしまったのだから...嘘で塗り固められてるんだもの。

 

賽は投げられた的な感じで、後には引けない気持ちだったのか、葛藤がありながらそれを隠してあの「喧嘩祭りじゃ」を言ったのか、それともあの時点では自分は間違えたとは思わずに叫んだのか...どのルート選んでも最後には後悔と自覚と郷愁がくるんだよつらすぎない?つらすぎますね。

 

なのに全体として秀吉(というか鈴村さん)は笑顔でいるのがまたつらい。はい。

 

b' 秀吉と千利休

ここは正確には主従じゃない(千利休って商人でしょ?)から、b' でいきますね。

千利休は秀吉を「人柄が好き」だと言った、だから暗殺に加担しなかったのだと。それが日輪でなくなってると...

 

千利休は秀吉に対して、割と説教をする。秀吉は聞かない。大儀であった、そして殺すわけですよね。

これねーーー秀吉は自分の「理性的な部分」を殺したのかなと....もう元には戻れなかったってところ。「天下泰平のためには仕方ない」「戦をしないためには戦を捨てなければならないこともある」、自覚、理性への言い訳なのかなあ。

 

千利休が自分の理性の投影、そして千利休を殺していよいよ元いた楽しい時代には帰ってこられなくなってしまった...つらいね.......(でも結局それすら殺しきれずに後悔もしてるわけだけど、千利休を殺したことで、決定的に戻れなくなったってところが大事なのかな?と)

 

そして最後に千利休が一服立てるところ。暗殺の道具にも出世としても使ってきた、お茶。最後にそれを秀吉のために立てて死ぬ。はあ....つらい.......またこのときの和彦さんの悟りきったようなお顔が.......

 

c. 主従のかたち 死と生編

第2幕の頭、能のあとの和音、めーーーっちゃオルガンっぽくて、バロック時代を思わせる和音だったと思うんですけど、あれ教会、神聖さすら感じさせる和音。死と生がテーマと思わせる和音。あれがまた最高に印象的だった。センスの塊すぎる。チェリストの方が音楽監督だし、クラシック畑(なのかな?)ならではの。

 

さて、そんな死と生についてです。

主従関係の死と生は

・「あるじのために死ぬ」

・「あるじのために生きる」

という観点。

 

c-1 信長とルキフェル

ルキフェルは、「あるじのために死ぬ」を選びたかったのに選べなかった。嘘のために...そしてルキフェルはこの考えを変えていく...と。

 

c-2 多門と資正

多門は「あるじのために死ぬ」を選ぼうとしたが、ルキフェルと会話をして「あるじのために生きる」を選んだ。そして、生き残る。

 

まあ正直、多門とルキフェルだけになって、「百人いれば充分」とか言い出した時点で、私は「何このフラグ...死ぬの...?死ぬのか...鬱展開...」という脳内だったんですけど、よかったーーーーーー死ななくて。万歳。(虚淵脚本だったら死んでると思う)(適当)

 

さて、これがさ〜もうよかったポイントしかなかったーーーーーーわけですよ

 

ルキフェルは「あるじのために死にたかった」

これを、瑠璃丸が変えていくわけですよ。瑠璃丸が「あるじのために生きた」その生き様を見る。そして、最後に「綺麗な瑠璃色だ...」と看取るわけですよね。はあ。つらい。

 

で、ここのシーンには「見てみよ、満月だぞ」と。瑠璃丸を看取ったとき、満月なんですよ。

月といえば信長。信長さまも見ているなかで、ルキフェルはその考え方を変える。信長の嘘にいつまでも苦しむルキフェルは、瑠璃丸の生き方を信長さまの月に照らされながら、ここで受け入れるわけですよね。

 

そして、多門にルキフェルが「あるじのために生きる」当たり前のことだろう!っていうんですよ、当たり前って、、、当たり前っていうの...あなたがついにその境地に達したの......

 

で、またさ〜訥々と、多門がルキフェルに、瑠璃丸が死んで寂しい、と言うんですよーーーー犬嫌いなのにーーーー

いやでも、犬嫌いっていうか...犬に噛まれた、犬が怖い、何を考えてるかわからないからってだけなわけで、本当に毛嫌いしてるわけじゃないし...あーつらい。ここにもまた、資正への、忠誠?主従を超えた何か?を感じてしまう。情がね...

 

いやーこのあたりはもう号泣。だめ。無理。このあとの石田さんの「生き延びよ!」で大号泣ですよ。個人的にはコードギアスの「生きろ」を思い出しました。スザクゥゥゥ!!!!!

 

c-3 信長と秀吉

先ほども述べた通り、ここは異質なんですよね〜〜〜

秀吉は「あるじのために」どうこうではなく、「自分のため」に生きたからこうなったのだ、というメッセージをビンビンに感じる。

 

c' 余談 「家臣」という言葉について

ここまでは「家臣」なんですよね。だけど北条氏は「手下」だったわけですよ。「家臣」には血の通う情があるけど、手下はいわば道具なんだな、と。なるほどね〜〜〜そういう言葉遣いね〜〜ハァ〜〜〜〜!!!

という感じです。

 

c'' 余談 明智光秀について

ここまで、明智光秀について一切書いてないんですよ。私は明智光秀だけが上手く掴めなかった。結局秀吉にいいように踊らされたっていうだけなのかなァ

ルキフェルの主人に信長。信長の家臣に秀吉を置いて、ここが異質な主従。資正と多門の典型的武家の主従。瑠璃丸はルキフェルの考え方を変える立ち位置。千利休は秀吉の考え方を変えようとしたができなかった。

アレ?明智光秀は?となるんですよね〜〜〜〜うーん。明智光秀ってなんだったんだろう。明智光秀からの構造的な立ち位置を上手く見出せなかった。そこが私の読解力不足、無念ナリ。

 

d. 物語ラスト

全体として主従を超えた情の美しさ、生への執着の大切さというメッセージ性と、あるじの生死が同じだったので、信長が死ぬところはつらかったけど、結局はハッピーエンドだった。綺麗な終わり方。鬱展開も結構好きですが、ハッピーエンドも普通に好きなので、素直な展開でよかった。

 

最後、「嘘はないんだな」という言葉に対して、「嘘はもう終わりだ」という信長の言葉で、

あーーーーこれで嘘が終わりなんだ、もう嘘をつく必要がないんだ、と思って泣き、

 

「終わりのない世界を一緒に見よう」で、あーーーーもう終わりがないんだ、あーずっと一緒にいられるんだ、よかったね!!!と言って泣きしました。

 

終わりという同じ言葉を使って泣かせにくるのずるい。泣いてしまう。またここで諏訪部さんの声がどんどん若返っていくのがもうね、情景が脳内に浮かびますよね。プロってマジですごい。すごいわ。

 

えーと本当は演出、音響、演技、衣装、最後の挨拶の話までもうアレからコレから語りたいんですけど...字数が多すぎてアレなので続きはまた今度...

 

続きました↓

https://turkey-a-san1102.hatenablog.com/entry/2018/09/03/194620

演出、音響、音楽などについて語っています

 

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書いてみた。

石田彰さんのファン。成人済み。腐女子

美術館巡りが割と好き。伝統芸能に興味あり。詳しくはないけど。

いろんなものの感想を書きたいのにツイッターでは140字しか入らないこともあり、ブログを開設しました。

少しずつ書いていこうと思います。備忘録用として。