とるころーるの備忘録日記

なんかもうごちゃまぜ

進撃の巨人 129話 懐古 感想

いままで伏せったーに感想置いてたんですけど、自分の感想を見返す機会がわりと多いので(何書いたっけ?って思う)、ブログに格納することにしました。
 
pp.1-3
泣いているコニー。海に手を伸ばすアルミン。銃弾がえぐい。2頁目で一気に戦況のさなかにいることを思いだす。かつての仲間の死、みずからの手でくだしたという事実に呆然としたままではいられない。
女型と鎧が味方になって戦っているのめちゃくちゃアツいなあ。アツい。あと巨人の戦闘シーンは本当に胸が高鳴る、迫力がすごい。ここアニメでも見たいな~という気持ちでいっぱいになった。船を挟んで女型と鎧が対称になってる構図なんですね。本誌は電子で読んでるので初読時気づかなかった、単行本でも見たい…
 
pp.4-6
巨人がすべての大陸を踏みつぶすまでに4日しかかからないの?!は、はやい…はやい…っていうか最終回までの原作のなかでの時の流れは(突然時間軸飛ばない限り)残りせいぜい4日前後しかないってこと?いやいやそんな…えっ本当に?
 
レベリオがすでに間に合わないの地獄だな~。地獄だな~というのはつまり123話で飲み明かした思い出のあるひとびとが、街が、踏みつぶされていくのもそうなんだけど、あのー、アニにレベリオはもはや手遅れだろうということを伝えずに場所を移動させるのがまた地獄だな~という
(いやあの戦況でそんな細かく伝えるのは無理なんだけど、このあとレベリオはもう手遅れということをアニは知るわけじゃないですか。そのときアニがどう思うかということを考えると本当につらい。彼女は何のために戦ってきたのってなるじゃない)
 
123話でパラディの面々が飲み明かした相手は戦争で居場所を失った人々であって、ここでジャンが彼らを思い出したことで、なんていうか戦争が弱者を踏みにじるものであることをまざまざと見せつけられているようで辛い。
あのときはパラディも、テントに住んでいた彼らも、同じ「弱者」であったが、いまやパラディ(というか地ならし派と反地ならし派)の人々は皆戦争を起こす側である以上「加害」に回ってしまったわけである。
 
いやーしかしこのあたりってどうなんですかね?あんまりイェーガー派と反イェーガー派と言いたくないので(だって別にエレンと対立したいんじゃなくて地ならしをやめてほしいわけですから…最終目的はエレン殺害じゃないって信じてる私は)ひとまず、地ならし派と反地ならし派と言わせてもらいますね。
反地ならし派の皆さんは加害者にあたるかという問題。彼らに加害者側だという意識はないと思うんですね。だってエレンを止めるのが目的だから。虐殺を止めるのが目的だから。人々を、世界を救うのが目的なのだ、加害にあたるはずもない。まさに126話ラスト、コニーが言った「世界を救いに」とは文字通り「世界」であって「パラディ」ではない。
 
しかし、本当に彼らは加害者にあたらないだろうか。
だってフロックが言っている通りエレンを止めればパラディは血の海になること必須なわけだ。そのとき殺されるのは誰だろう。兵士も多く死ぬだろうが、やはりそこに巻き込まれる民衆たちも多く死ぬ。それはレベリオで難民として暮らす彼らのミラーリングだ。世界を救おうとするという気持ちの先で、パラディの民たちにとっての加害者になってはないだろうか。
実のところ、反地ならし派がどうやってエレンを止めるのか、どうやってパラディを救うのかがわからないからこんなことになってるんですよね。理由も虐殺はだめだからの一点に限られている。「パラディが血の海に」なるのを防げるならそれがいちばんいいし、彼らは加害者にならない。でもそれを防げないからエレンは決断したんじゃないかと思うんですけど…うーんわからん。とにかくここでレベリオの彼らを思い出しているジャンの気持ちはすごくよくわかるが、それはエレンを止めた先の未来のパラディの民だぞと思ったのでした。
 
pp.7-8
 
賭け、かあ。賭けを迫られるハンジを見てエルヴィンを思い出す。死してなおこんなにも影響を及ぼすなんてな…
エルヴィンは引っ張って自ら賭けに出る感じがありましたが、ハンジは賭けを迫られるというのがまた…団長というのがいかに重責かと思うな。
 
pp.9-10
 
あーこれ!さっき言いましたが、アニは「父のもとまでたどり着けるの」かを気にしてる、あたりまえだよねえ、父のもとに帰るため彼女は戦っているのだから。でも彼女はこのあと船内で父はもはや手遅れであることを知るわけでしょ。いやあ、めっちゃつらい、地獄だ。エレンに勝てるの?のあと、「レベリオの父の元までたどり着けるの」とくるのだから…はあ…

もともとが利害が一致しただけの休戦協定なんだから、ここでアニに利がなくなったらまたひと悶着ありそう。
 
それはそれとしてアニとミカサの共闘アツいな~
 
pp.11-15
 
p.11の「ヨオオイドオオンダッシュ」気づかなかった、、、いつものことながら気づく方々すごいな。


p.12でハンジが俊敏に動いて敵を殺すじゃないですか。いいね~~~と思いました。そうだよねハンジも兵団の一員で彼女も幹部でいまや団長なんだし、そりゃ上手いよな…
フロックの「まさか」は船で逃げるのを察知したという意味の「まさか」だよね、いや~それにしてもフロックは本当に察しがいいな。


p.13のライナーの「ぐッ」の顔がかっこよすぎる~~~~あ~~~かっこいい~~~~
でかい腕でアズマビトたちを守る鎧と女型、本当にかっこいい。それと同時にアズマビトまじでこわかったろうな…と思ってしまった。私なら失神するっていうか膝がくがくで動けない…
雷槍が腕に直撃している女型、本当に痛そう、見てるだけでこころが痛い
 

 

pp.16-17
女型を守る鎧があまりにもかっこよすぎて惚れた。かっこよすぎだろう。焦った女型の顔も新鮮。女型の表情ってこんなにわかりやすく伝わるんだね。結構表情豊かだ。
そしてフロックの言葉。モブ兵士たちの表情、なんかあまり覇気が高くなくない?そんなことない?フロックに気圧されているような感じの…気のせいか。まあ命を捨てる前にはああいう顔になるのかも。「うおおお」て感じじゃないのかも。だって命をかけるんだもんな。


なんかこういうところ、すごいと思う。ウォール・マリア奪還のときのエルヴィンに従った新兵たちもそうだが、命をかけるときの恐怖が描かれているのが。命をかけるって簡単じゃないんだよって表情で描かれるのが、いい。
 


pp.18-19
p.18のイェレナ、どんな表情?腕痛いのかな…違うか
へ、兵長~~~~そんなとこにおわしましたか!!!かわいい!!!!かわいいな!!!!!だれが括ったんだろ…やっぱオニャンコポンかジャンかな……ところでピークが海から上陸して以降、兵長のお姿が拝見できないんですけど落ちてないよね?ちゃんと船に乗ってますよね??
 
「オレじゃなくてガリアードさんだったら…」ああーーー死者に対するこの、この…自分じゃなかったらという思い、ここまででも見たな。ハンジとかアルミンとか。うう。死者は生き返らないので死者に対する「if」の話をされると本当につらくなる。
しかもその死者は自分の命とトレードオフだったなんてしんどすぎる。自分が無力だ、あの人だったならばと思うことの重みが違うよ。自分が死ねばあの人は生きていたのであって、自分の命と他者の命を天秤にかけたうえでの「あのひとが生きていたら」、こんなに重い言葉があるか。
 
ファルコ、ぴょこんと飛び降りてしまってもう…しかしこれまでもそうだったが、ぴょこんと飛び出て問題が起こることが多いな…ガビが立体機動装置使ってサシャを撃ったりさ…
 

 


pp.20-22
「すぐに回復する」、つらい。巨人になるっていうのはそういうことだ。身体の違いを改めて感じる。「船を守る」のコニーの顔、、、コニー、もともとおバカキャラみたいな感じだったと思うんだけど、こんなに険しい顔をするようになったんだなと思う。つらい。彼がこんな顔をしなくてはならない状況になってしまったことがつらい。
水からざぱんと出てきたピークちゃんの背中に兵長を視認できない~~でも角度的に仕方ないね~~ 
 
 増援車両が倒されているが、は~~これをキースが…どうやって…とは思うがもういいわそんな細かいことは…どうやってでもいいよ…うう
p.22のアニとライナー、ぐちゃぐちゃになっている、、、アニにいたっては頭がとれてるし…
 

 


pp.23-25
p.23のコニー、エッ待って死なない?大丈夫?と思ってめちゃめちゃヒヤッとした、よかった…アニを助けるためにコニーが立体機動装置で飛ぶの、なんとなくトロスト区防衛戦でリフトに104期が乗って四方から巨人を倒すシーンで、巨人を倒し損ねたコニーをアニが助けるシーンを思い出した。


ツイッターで見かけたんですけど、ウトガルド城でコニーはライナーに助けられたとき、コニーは「俺…お前に助けられてばっかだな…あぁ…そういやアニにも命張って助けられたよな」「いつか借りを返さねぇと…」と言ってたんですね…

そこの伏線回収だったんだな!!!!!なるほど!!!アニの方しか思い出せなくてライナーに助けられてたのすっかり忘れてた。もう本当によくお気づきになりますねみなさん…


ちなみにウトガルド城のシーンでは、このあと、「普通のことだろ…兵士なんだからよ…」というライナーに、「どうかな…あんな迷いなく自分の命を懸けたりするのって…ちょっと俺には自信ねぇぞ…」とコニーは返していて、うううコニー……という気持ちになったのでした。命を懸けるようになったことの力強さと、命を懸けねばならなくなった哀しさと。


p.25の「躊躇えば」のコマがジャンなの本当にさ~~~~ね~~~~という感じだ。躊躇えば仲間が死ぬ、もう躊躇わなくなったんだなと思って、どれだけ過酷な世界にいるのかと思うよねえ改めて。人を殺すのに躊躇うことのできない環境って何なんだ…苦しすぎる
ここの104期とハンジさんかっこよすぎるし、躊躇えなくなったことが哀しいしもうぐちゃぐちゃ
 

 


pp.26-27
「俺たちの国を!!」で、ああパラディは島ではなくて国になったんだなと思った。何巻だか忘れたけどマーレ他国家というのがあるのを知った時、「国?っていうのがわからん」みたいな台詞があって、ああそうか国家って概念がないのか、と思って新鮮だったんですよね。
国民国家の成立と見ればいいんだろうか。王政があった以上主権国家はすでにあったわけだし。ハンジたちに対抗して革命を起こして…と見れなくも、ない、が…でも別にそうじゃないんだよな~市民革命とは全く話が違うもんね。でもまあ自国への帰属意識が生まれたという意味ではそう見てもいいのかな。いやまあ当てはまらねえか。いいや。すみません浅い知識で偉そうに話してしまった。しかし彼らは明確にここで国民という意識になったんだなとは思ったんですよ。国への帰属意識というか。

 


pp.28-30
あーーーファルコーーーッッ………鳥みたいなフォルムなんですね。23巻冒頭の鳥に手を伸ばすファルコを想起させるね。ファルコは自由の象徴になるのかなあ、やはり今後の解決のキーはファルコになるんだろうか。


23巻で前元帥が「羽の生えた巨人はいなかったか」と言っていたことがここで回収されていくのかもしれない?と思った。羽が生えて飛べる巨人になるかしら。まああれは、巨人を凌ぐ技術を持ち始めた周辺国の様相を見て、いずれ戦場は空になるから巨人という兵力に頼っててもいずれ負ける、という文脈だったので、一体だけ空を飛べたところでどれほどの意味があるかなあ…と思うけど。
ファルコ巨人のフォルムかっこいいな。顎の巨人のフォルムを見るのはユミル、ガリアードに続いて三体目だけどファルコはこういう感じなんだなあ。


 p.29のアズマビトが頑張って石炭入れてるのちょっとかわいい。いかにも力仕事苦手そう。

 

 


pp.31-34
「エルディアを救うのは!!俺だ!!」という叫びを聞いてつらくなる。そうなんだよな〜〜〜いや、そうなんだよ、彼らもまた救おうとしているんですよね……
ところでここ、フロックが右腕?右肩?を撃たれてるんだけど、エルヴィンが隻腕になったところのリフレインだという考察を見てマジでこういうところ気づく人本当にすごいな〜と思った。たしかに死守せよとか、心臓を捧げよとか、エルヴィンの号令を思い出す言葉のあとに右腕?喪うのが、リフレインだっていうの、は〜〜〜〜なるほど……という感じだ。まったく気づかなかった。なるほど。


p.30とp.32のコマ割りめちゃくちゃすき、、、イヤ漫画は描いたことないんでコマ割りとかよくわかんないんですけど、それぞれの顔がパッパッと出るのすきなんですよ……


p.33でガビが狙撃したことがわかるわけだが、ガビの狙撃力がバリ高くてすごい。彼女、サシャ、エレン、フロックを狙撃したことになるんだな…。ガビがすごく動揺したようなぎりぎりなような顔をしているのが心にくる。サシャを撃ったときは憎しみでいっぱいの顔をしていたけど、彼女はいまターゲットが血の通った人だと理解して狙撃するとき、こんなにぎりぎりの顔をするんだな。いや~~そりゃそうだよ、人を殺すって本当はぎりぎりの、つらくてきつくて苦しいことだ。それが悪魔じゃなくて人だとわかったときはなおさらそうだ。それに対して「よくやってくれた」と言われる世界線


サシャをガビが撃ったとき、その直後、フロックはガビとファルコの頭引っ掴んで「こいつらロボフさんの立体起動装置で飛び乗ってきやがった」「外に投げる」「それでいいな」ってもう本当にめちゃくちゃ怒ってたんだけどさ、そのガビが今度はフロックを撃ってハンジに「よくやってくれた!」って言われるってさ…………いや、まじでほんとなんでこうなった……なんでこうなった………………(結局ジャンが「子供を空から投げ捨てれば…この…殺し合いが終わるのかよ…」と語り、投げ捨てられない。いや本当に殺し合いがずっとずっとずっと、終わらないね……終わらない、………)


p.33、「フロックが!」と言われるくらいにはやはり支持を集めていたんだよなフロック……そのあとに真っ二つになるのがミカサのブレードの切れ味がすごすぎて背筋が冷えるわ。南無。残された面々の絶望的な顔。

 

フロックの海に落ちたときの水しぶきが不自然に船に伸びてるから乗船してるのでは的なツイ―ト見たんですけど、ほんとだね…いや全然気づかなかった。乗船してるんだろうな~~というかフロックはまだ死なない気がする。悪運強そうだし、、でももう誰も死んでほしくない。ガビとサシャのリフレインはいやだよう~~~~


pp.34-37
ようやっと終わったと思ったら、ふぁ、ファルコ〜〜〜〜…………!!!!いやこれめちゃくちゃやばくない?まさかの車力が食われそうになってるこわいよーと思っていたらマガトが救出。マガトに抱かれているファルコ少年、美少年すぎでは。

 

pp.38-39

みんなもうぼろぼろだ、、、オニャンコポンがこれから大丈夫なのかと心配する気持ちもわかるくらいぼろっぼろ。「殿を務める」って言った瞬間みんなその言葉が何を意味しているか瞬時にわかったよねえ~~「元帥だってば」の言葉が…せつない、、

p.39の死体ってサムエル?

 

pp.40-41

キース!!!!!!!!教官の登場の仕方あまりにもかっこよすぎる、、ああーーーかっこいい!!!!!かっこよ!!!!!!

「ここに残してはいけない」「ならば手を貸そう」ううううイケオジ…ごめんこんな語彙でしかすばらしさをあらわせなくて…イケオジ…かっこいいよおおかっこいい、、、

 

pp-42-45

いやこの一連の流れ映画…映画だよ…泣いた…

アニを見てた人影だれなのかな~と思っていたんだけどキースだったんだね。死に時を探していた、か~~~~いや~~~~~死ななくてもよかったんじゃないかなあ~~~~~旧き者が新しき者を助けられる場面ってこれからもたぶんいっぱいあるよ~~~~~と思うけど、彼は自分で自分の死に場所を選ぶことにしたんだね、、、この世界で死に場所を選べるのはかなりしあわせなのでは。自分の意思で自分のいのちに終止符を打てるという意味で。教え子の成長を見て、もう大丈夫だと思ったんだろうか。自分がいなくても大丈夫だと思うほど教え子が成長するというのは、教官としては一番、いちばんうれしいことかもしれない。

 

「世界を救った英雄になるだろう」か。凡人であることが苦しかったキースに、キースがいちばんほしかった言葉をかけたのは敵兵であったマガトなんだね。はっとした顔をしてから目を伏せる。ここ微笑まないんだなあと思った。というか絶妙な顔だよね?!ほほ笑んでいるような、哀愁漂うような。

そして同様に、良心の呵責にさいなまれていたマガトに「俺はあんたを誇りに思う」というマガトのほしかった言葉をかけたのもまた敵兵であったキースか。

 

マガトの「自分の良心に気づいておきながら」が個人的にはめちゃくちゃグッと来ている。というのも、私はマガトがたったの一晩で意見を変えたのをずっと不自然だと思っていたんですが、その不自然さがここで解消されたから。たった一晩で意見を変えることができたのは、彼が「気づいて」いたからなのだ。自分の考えが誤っていることに。

彼がガビに伸ばした手をおろしたのは、気づいて考えを変えたガビに、気づいておきながら考えを変えられていない自分に慰めようもないと思ったからなのだろう。そして彼は自分の考えを変え、謝罪することを選んだ。

 

凝り固まった考えを持つ大人より子供のほうが柔軟なはずだと私は思っているが、その柔軟なはずの子どもであるガビでさえあんなに時間がかかった。でも大人であるマガトが意見を変えるのに要した時間がたったの一晩。その不自然さがきちんと解消されているのが本当に丁寧ですごいなあと思ったのでした。すごい。

 

そして、「あの子達がただ普通に生きることができたら俺は…どんなに嬉しかったか」という言葉の背景のコマにジークが写ってるんだよお~~~~~ああ、、、裏切ったジークでさえ、マガトにとっては「あの子達」に入るんだなと思って切なくなった。彼らの幸せを願うときのマガトの穏やかな目。うう、、、こんな世界じゃ、こんな世界じゃなかったらなあ。

 

最後に二人が名乗り合う場面、武器をお互いに手にとり、調査兵団の兵服を身にまとい、兵士/戦士として死んでいくんだなと思ったらめちゃくちゃ胸があつくなった(語彙が残念すぎる…胸が熱いて…)。キースもマガトも調査兵団服なんですね?!これも私気づかなくってもう……各位の知識に助けられて読みが深まっている……ありがてえ話です

 

名乗り合う場面の吹っ切れたようなすがすがしい顔がいい。それまでの陰鬱とした表情とは打って変わった表情だ。二人の過去を思わせる対話をしたところ、そこで今回のタイトル「懐古」、ということなのかな?ちょっと違うような気もするけど。でも過去のさまざまな伏線を回収していく回だったように思うので、そういう意味では「懐古」ぴったりだったな。はあ…キースが英雄だったことを、こう…なんとかして…誰かが察してくれて後世に残らないかな………も淡く願っちゃうね……

 

最後、ピークとガビが泣いていて、ああ彼らもあなたを誇りに思っていたに違いないと思った。尊敬していたに違いない。 

 

は~~~~~本当にいい回でしたね。記憶に残る回だ。ああ~~~~よかった次回が楽しみです。エレンどこ?リヴァイさんもしゃべるかな?

5パーセントとか言わないで〜

 

 

進撃の巨人って旧き者から新しき者、大人から子どもへの流れがすごく意識されていると思ってるんですね。エレンたちの次の世代がファルコとガビなわけで、ファルコ巨人の鳥フォルムを見たときに、ああやはりファルコが自由の希望、象徴になっていくのだろうかなどと思った。それはそれとして、104期より上の旧き者たちがこれでほとんど死んでいってしまったなあ。残るはハンジとリヴァイくらいか。

 

しかしそれにしてもマジでエレンをどうやって止めるつもりなんだろう。

 

「ハンジがまともなことを言っててキャラ迷走したとか言ってる人は進撃の巨人を読めてない」という趣旨のツイートが回ってきて、まあハンジがわからんわからんと数カ月言ってきた身としては肩身が狭くなったんですけど、よくよく考えると私はハンジが「まともなことを言っててキャラ迷走」とは思ってないんですよね。

 

ハンジが良識のある理知的なひとであることは知っている。でも、だからこそ、ここで「虐殺はだめだ」という倫理を持ち出すのは明らかに「まともではない」と思って困惑したんですよ。

この世界観って倫理が通用しない世界じゃないですか。どんな選択をしても人を殺さなくてはならない。パラディへ全世界が攻め入るか、パラディ以外の全世界を地ならしで殺すかの二択しか状況的にはありえない。人を殺さないで済むならそれがいちばんいい。エレンだってきっとそう思ってると思う。でもエレンはそれが不可能だと思ったから、倫理を踏みにじることを織り込み済みで全世界を滅亡させようとしたのでは、と思うんだよね。そのエレンの思いを倫理で殴るの?という。人を殺すことは、犠牲にすることはこれまでにたくさんしてきたのに。倫理が通用しないということは全員の前提じゃなかったのか、という困惑。倫理が通用しないという前提のもとでは、倫理で殴ることは「まともではない」のである。

これまで選択の連続だった、でもそこに理想論的な倫理を出してくるのは違うのでは、それはこの世界観からして「まともじゃない」のではと思ってハンジのことがわからなくなったのでした。

 

しかし冷静に考えると、ハンジってここまでにあんまり選択をしてきていないように思う。分隊長時代はエルヴィンの選択に従っていた。団長になってからはハンジは何とか第三の選択肢を見つけるべくマーレに渡った。彼女はいつだって既知の選択肢の中から選ぶのではなく、第三の選択肢をギリギリまで探すタイプの人なのではないかと思い、納得した。つまり、彼女はやはり根っからの研究者なのである。betterではなくbestを目指す。そして、bestを目指すあまり現状の選択肢のどちらかを選ぶという行為から遠ざかったので、エレンは彼女の、兵団のそういう姿勢を見限ったのではないか。団長というのはbestを目指す姿勢それ自体がbetterかどうかという視点も必要だが(エルヴィンはこっち)、彼女の根底には人を殺してはいけないという倫理がずっと昔からあって、bestを追い求めるのだろう。それが意外だったかな。人を殺してはいけない、人が死ぬのはいけないという倫理があったなら、エルヴィンに続いて新兵たちが獣の巨人によって大勢死んだときのような、目的のために誰かが死ぬ、(それこそモブリットはハンジのために死んだ)、そういう死と向き合うたび、彼女のこころはどれだけ傷ついたろうかと思ってめちゃくちゃつらくなった。この世界で倫理観を保てるの、すごすぎるだろう。

 

リヴァイがかつてファーランとイザベルの死に慟哭していた姿から、旧リヴァイ班の遺骸を見ても気持ちを押し殺して女型を追う姿に変化していったように、死を多く見るうちに犠牲になる哀しみは感じても、それでも前に進むという目的意識に変わっていくように思う。でもハンジはその目的意識の手前で、そもそも敵味方関係なく人が死んではいけないという倫理を保てていたのであり、それは本当にすごい。読んでいるだけだからだろうが、少なくとも私は死に対する感覚が麻痺した。周りの人がばんばん定期的に死んでいく環境に身をおいたことがないのでよくわからないんですけど、故郷か故郷以外の二択ならば、故郷を守る目的のために人が犠牲になるのは仕方ないと、読んでいるうちに思ってしまった。実際に身をおいたらどう感じるかはわからないけど。

 

ハンジが本当に第三の選択肢を見つけて、パラディもパラディ以外も誰も死ぬことなく終われるのならそれはすばらしいことだ。bestだろう。でもそんなことが可能だろうか?それを可能にする手立てもなく倫理で走っていくのは、やっぱり心配になる。倫理だけでエレンを説得できるはずもない。

 

ジャンがどうやってエレンを止めるのかとハンジに問うたとき、ハンジは怒鳴ってそのジャンの問いをぶった切った。ジャンはマルコを思い出して、ハンジの策を問い詰めることをやめた。あの光景は本当にこわかった。だってあれは要するにジャンもハンジも死者に動かされているということだから。

ハンジは倫理をずっと持っていたが、それは死者への哀悼の気持ちをずっと持っていたからだろう。重く双肩にのしかかる死者の想いに乗せて、なんとか前に前に進もうとしている感じがする。

死人に口なしだと私は思っている。島だけが平和なんてケチなこと言わないだろうとか何とか以前に、そういうことをそもそも死者は言わないと私は思う。死者に語らせるのは無意味だ。

でもハンジはそうではなかった。彼女のなかでは死者がまだ心のなかで生きているのではないか。彼女が倫理を保てていたのは死者に恥じないようにという思いからなのではないか。あのシーンを見て、夥しい数の死者の存在と、戦場にそぐわないほど「まとも」な彼女の倫理観は、たぶん密接にかかわるものだと思った。

 

倫理だけでは走れない。彼女が何かエレンを止める手立てが、そしてその先に世界が攻め込んでくるパラディを救う手立てがあるのなら、それなら私は彼女を支持できる。でもいまのところ倫理だけで第三の選択肢が見当たらない。机上の空論にしか見えない。だから私はこの状況下ではエレンを支持したいなーと思ってます。どちらが良い悪いではない。仕方ないのだ。どうしようもない。だって世界は残酷だからという言葉のとおりだ。

 

しかしな〜〜エルヴィンが生きていたら、ピクシスが生きていたら、と思ってしまうのつらい…