とるころーるの備忘録日記

なんかもうごちゃまぜ

鬼滅の刃 187話

Twitterにも書いたんですけど備忘録用にこちらにも残しておきます。

 

巌勝は、縁壱がいっそ悪人だったらよかったんだろうなと思うけど、あくまで縁壱は兄が鬼になったあとも優しい兄上、なんだね?

長男信仰、家父長制の重圧に耐えている自分よりも才能があって、でももっと自由で自分にないものを全部手に入れたように弟が見えている巌勝が、苦しんでどうしようもなくて絶望して鬼になったことを、なぜ鬼になったのかを、その縁壱は知ってたんだろうか。

 

知らなかったとしたら、本当に巌勝が「おいたわしい」。最期の最期まで巌勝の弱さは、ついぞ縁壱に明かされることはなかったことになる。自分の醜さも弱さも、ただひとり、巌勝だけがすべて抱えて生きながらえる地獄に取り残されたことになる。

知っていたのなら、ある意味そのほうが救いだ。縁壱と巌勝が互いを見ているからだ。縁壱の「優しい兄上」というのは、巌勝の一面であって、すべてではなく、だから、互いを見ていることにはならない…と私は思う。もし縁壱が巌勝の弱さを知ったなら、そのときこそ互いを見たことになるんだな、と思う。
縁壱は妻子を殺した鬼という存在を憎んでいたに違いない。でも、その鬼になってしまった巌勝を、鬼に追いやったのが自分だというのは苦しい。悔いたかもしれない。あるいは笛を肌見放さず持つ愛情を胸に抱えながら、巌勝を殺して救ってあげようとしたのかな…どちらにせよ苦しい。


そして、私たちは知っている。片割れが鬼になったりなりかけたりした兄弟を、ほかにも。
彼らと継国兄弟の何が違うかというと、兄の弱さなのだと思う。
何というか鬼滅の兄弟姉妹間における、下の子から上の子への憧憬、上の子から下の子への責任感はかなり色濃いな…と思う。憧憬というのは強い分だけ向けられた側はプレッシャーになることもあるだろう。下の子のほうが優秀なら、なおのことその憧憬は重い。

ただ、巌勝がどうしようもなく弱かったかといえばそうではない。むしろ他の兄弟姉妹の上の子たちがあまりにも強く、あまりにもかっこよく、あまりにも「上の子然」としていただけなのだ。

巌勝は、本当に普通だった。普通だったのだ。でも縁壱にとっては、彼にとって兄は「普通」「ただのひと」に収まらぬ、「優しい兄上」なのだ。普通であることが弟にさえわからない。弟の憧憬がここにもある。でも兄がそれを受け止められなかった。家父長制が色濃く残る時代、兄に「普通」は許されなかった。弟にさえも。

そういう意味では、不死川兄弟が向き合えたのは、玄弥が弟だったからなのではとも思う。兄にどれだけ疎まれ罵られようと、鬼にさえなりかけようと、呼吸ができなかろうと、才がないと言われようと、謝りたくて、兄と話すために柱になりたくて、素直にまっすぐに兄と向かい合おうとした。向かい合った。諦めなかった。鬼殺隊として呼吸ができなくて才能がないのだ、と言いつつ、兄に対するとき、「兄としての重圧」が弟にはない。自由なのだ。

玄弥は、最期に「守ってくれてありがとう」と言う。やはり兄は「弟を守るべき存在」なのだ。重い言葉だ。そしてその重圧を自身への重圧と思わない、兄として当たり前のことだと思っている強い実弥は、「守れなかった」自分を悔いるのだ。神にさえ祈っても、救えなかった、弟のいのちを。

巌勝が普通であることが苦しい。個人的には、鬼になった経緯を縁壱が知っていたかどうかが死ぬほど気になりますが、描かれるかなあ。描かれない、という選択がなされたとしたら、その筋もまた苦しいね、そのぶんだけ巌勝の思いは伝わっていなかった、ということなので。