とるころーるの備忘録日記

なんかもうごちゃまぜ

銀魂 第703訓 右目 感想

 

確か、三浦しをんが小説の中で、大人になると名前のつかない関係性が増える、というようなことを言っていた。読んだ当時はそんなもんか、と思ったけど、徐々にその意味が分かるようになった。

 

高杉晋助が死んだ。

 

高杉と銀時の関係性というのは、「友達」というにはあまりにも様々な感情が入り込みすぎている。たしかに烙陽決戦編で桂は自分たちのことを「旧き友」と言っているから、友、というのは確かに当てはまるのかもしれないけれど、彼らの背負った運命を考えると、一言では表せない。だって、高杉と銀時は血まみれになって斬り合った仲だ。それはただの友達でもない、相棒でもない、家族でもない、でもそこには確実に絆があった。本当は絆なんて単語だって似合わない。そんな綺麗な単語じゃない、でも腐れ縁だなんてありがちな言葉で表したくもない。

 

物語の展開としてはこれ以上ない展開だった。わかっていた。

前話の時点で相当程度の確信をもってこの展開は予想できたし、センターカラ―に高杉がいなくて、「まさか高杉は死ぬの?」といういやな予感がしていたし、朧の骨を自身に刺して「亡霊」の身を手に入れたときも、もう高杉の命は長くない、とわかっていた。

 

 

どれだけ確信があっても、悲しいものは悲しい。苦しいものは苦しい。彼の眼は閉じられてしまった。彼に未来はない。時計が止まってしまった。

 

いつか、平和な世の中になって、それで、攘夷の四人が酒を酌み交わすことも、昔はいろいろあったよなと笑い合うことも、それを松陽が本当に君たちは悪ガキで…とため息をついて呆れ顔で穏やかに笑って、それを高杉が見て、本当にこんな未来が来てよかったと盃を片手に微笑むことも、ない。

 

そんな未来は永遠に来ない。

それがつらい。未来が彼には来なかった。明るいことも暗いことも、全部飲み込んで一歩踏み出して新たな世界を見ることは彼には叶わなかった。

 

いつか、銀時がひょっとしたら中年になって太って、それを辰馬がデカい声で笑って、桂が本当に禿げてヅラになるなんて、ギャグみたいな未来があるかもしれない。
今はアラサーで、中年になっても、おじいさんになっても、ずっとずっと一緒に酒を飲んで笑っていたかもしれない。サザエさん方式だけど。可能性として、彼らの未来を妄想でもなんでも、頭の中で描くことはできる、だって生きている限りどんな可能性だってあるから。

 

でもそこに高杉の姿はない。彼は太ることも、ハゲることも、ヅラをかぶることも、笑うことも、もうない。

 

生存ifの世界線でない限りありえない。彼は死んだから。それがつらいなあ、やっぱり。いや、当たり前だけど、妄想できないことが辛いんじゃなくて、未来がないことが辛い。彼が新たな世界を目にできなかったことが辛い。もう目を閉じてしまって、その目が開くことは永遠にないことが辛い。時計が止まったんだな、そこで。

 

銀時は苦しかっただろうか。救いたかっただろう、護りたかっただろう、って本当思うよ…でもその闘いのさなか、護りたいものはここにあるって動揺した顔一つ見せず言っていた。

銀時と高杉の思い出は、いつだって共に何かと、あるいは互いと、(幼いいさかいも含めて)闘っていることが多かったような気がする。幼少期に道場破りをしにきたときも、松陽が捕らわれそうになったときも、攘夷戦争も、虚を倒すときも。共闘にせよ、互いの闘いにせよ。

 

道場破りに始まり、最期まで闘いどおしだった。だから酒を一緒に飲みたかったと銀時はつぶやいた。そんなことしている暇があったら一本とろうとするという高杉に、ああこれがこの二人の絆の在り方なんだな、と思った。だから、救いたくて、護りたくて、しかたのない存在だったはずだ、だけど、それでも共に闘うこと、そこに魂があると言えたのかなあと思った。わからないけれど。

 

「お前に斬らせるわけにはいかない」という高杉の言葉が苦しい。銀時が目を見開いてはっとした顔をしたのもつらい。なんではっとしたのだろう。高杉からそんな言葉が出てくるなんて思わなかったからだろうか。高杉が最期の最期まで、銀時への、あるいは先生への罪の意識を背負っていたからだろうか。

高杉が銀時へ罪を背負っていると感じていたとしても、同じ罪を背負った二人だと思うから、銀時は地獄で首洗って待ってろって言ったんだろう。地獄行きは決まっていることを二人ともわかっているんだろう。苦しいな、どうしてこんな運命を背負ってしまったんだ。

 

そして、高杉が背負った業は深い。彼も裁かれないといけないことはしてきていただろうと思った。 先生を救うためと言っても、彼はやってはいけないこともしてきたのではないか。将軍暗殺篇からさらば真選組に至るまでの、多くの人を犠牲にして世界を壊そうとしたのは、その必要があったのもわかるけれど、犠牲を生んだのも事実だろう。もっと別のやり方があったかもしれない、とも思う。


でもなあ、それでも先生のためにずっとずっと、ひとりで頑張ってきていたのになあ。背負った業を考えたら、虚ごとあっちに行くのは仕方ないのかもしれない。でもあまりに浮かばれない。罪の意識が彼の根源にはきっとあったのだろうと思うから、彼の、先生を、村塾を、救いたいという思いは本物だったはずだから。

 

 

でも、ここまでしっかり最期の瞬間が描かれてよかった。本当に良かった。山崎が死んだ(ように思われた)ときのように、あまりにもあっけなく、死とはこんなに冷徹で、誰もを置き去りにするものか、とずしんと胸に響くような、そういう死の描かれ方じゃなくて、きちんと銀時に言いたいことを言えた最期でよかった。

 

高杉が全編通してすごくいい顔していた。死の前の、すべてを受容するような顔だった。それが苦しかった。死の足音が彼の表情の一つ一つから聞こえるようで。

 

高杉は、幸せだったかなあ。幸せではなかったのかなあ。ここで簡単に、「きっと幸せだっただろう」とか言い切ってはいけないような気もする。なんだかそれは、私が彼に幸せでいてほしかったという願望を押し付けてしまっているような気もする。

というか、死ぬときに幸せだったかどうかなんてくだらないって思っていそうな気もする。運命をただ受け入れ、こうなることがわかっていたのかのように「ヤキが回った」って笑って……幸せかどうかなんてもので人生を測っていないような気もする。結局、先生や、仲間や、世界の幸せを、だれより願っていたのかもしれないとすら思う。

 

はーーーーそれでもなあ、それでも、もっと、もっと、笑っていてほしかった。幸せそうだね、良かったねって言いたかった。彼の背負う業を考えればそう簡単に幸せになれないだろうことはわかってるけど、それでもなあ、ご都合主義でもなんでもいいから、笑っててほしかったよ。

桂にも、辰馬にも看取られず、銀時の腕の中で死んでいくのか…戦場で誰に看取られることもなくあっけなく死ぬよりよほどいい、と言えるのだろうけれど、言いたいことが言えてよかったと思うけれど、これ以上ない綺麗な展開だったと思うけれど、それでもなあ。あとに残された人の心には穴が開くんだよ。置いてけぼりだよ。

 

唯一の希望は、高杉が託した未来が明るいことであると願うことくらいだな。そして、高杉の思いを背負った銀時が、もう時計が止まってしまった高杉という男を、ずっと自身の中に生きながらえさせてくれることを、願うばかり。

 

高杉、本当にいい男だからさ、向こうではせめて幸せに笑っててほしい。何に対してかはわからないけど、ありがとうとだけ言いたい。

 

最終訓を静かに待とうと思います。