とるころーるの備忘録日記

なんかもうごちゃまぜ

ルーベンス展 / ムンク展 の感想

 

 

以前、歌舞伎に興味のある友人Fに誘われて一幕見席(当日並べば、一幕だけ1000円前後で見れる。4階なので遠いが声もちゃんと届く。歌舞伎役者はすごい)で見に行ったことがある。

私は当時歌舞伎に興味はあったものの学校で連れられたり...程度で、自分では行ったことがなかったので、ついていった。

 

Fは腐女子なのだが、女形の方の妖艶な演技について、「あれめっちゃエロかったね!あれ全員男なんだよ、ヤバくない?」ということを観劇後に私に言った(一応言っておくと、もちろん感想はそれには留まらないです)。

そのとき、高尚なものとして観劇しようと肩肘張っていた私の歌舞伎へのハードルは脆くも崩れ去り(こういうときにこの言い回しは使わない気がする)、「高尚とされているものを気軽に見る」という私の鑑賞スタイルが確立した。

 

何の話かというと、美術館も結局同じという話だ。私の美術の知識については、受験世界史/受験日本史/たまに見る美の巨人/今までに行った展覧会に全てが集約されるので、大変貧相な知識しかないが、それでも美術館に行くのは好きだし、気軽に見ればいいと思う。

 

たまに気になる展覧会は事前にムック本を買って読んでから行くこともある。知識があればそれはそれで楽しいし、自分の限られた時間の中でできる楽しみ方をしたらいい。

 

(ちなみに音楽についても同じだと思っている。別の友人Sは「ここのベースとドラムは完全にまぐわってる、でも音楽は全年齢対象」と言ったようなことを言っていたが、全くその通りで、クラシックを聴いてても「ひえーエロ!」と思う旋律とかは実際あると思う)

 

てなわけで、ルーベンス展とムンク展に行ってきました。ざっくりとした備忘録用のメモです!

 

ルーベンス

ルーベンス展-バロックの誕生|TBSテレビ

 

すみません、人に見せるというより本当に備忘録のために載せてるので、以下の写真にキッタナイメモが載ってますがご容赦ください。

 

いつも私は美術館に向かってすぐ(自分でペンを取り出すのがめんどくさかったり、持ってなかったりするので)、係の方に「ペグシル貸してください」と言ってペグシルや鉛筆を借りて、メモをして回ります。

 

私は気に入った作品には丸をつけていき、最後に出る前にそこだけもう一度見てから帰ります。名残惜しいけど。

 

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音声ガイドは長澤まさみさん。低めの綺麗な声だった。

ルーベンス展は全編を通して臨場感、躍動感がすごかった。肌が綺麗で、筋肉に動きがあって。

ルノワール展も以前行ったのだが、ルノワールに比べて、もっと雄々しい感じがあった。ルノワールも臨場感はあるけど、ルノワールの方がよりふんわりしている感じ。ちなみにルノワールルーベンスの影響を受けたらしい。なるほどなあと思った。

 

ルーベンスは肌の柔らかさ、質感をチョークで書くことで出したらしい。ルーベンスは人間の理想の肉体、肉体表現における感情の表し方というのを目標にしたそうだけど、すごーくよくわかる。伝わる感情表現。

 

ルーベンスは家族の絵もよく描いたらしく、『クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像』という娘の肖像画については、目の前に愛娘がいて、楽しみとして描いたらしい。たのしんで描いたんだな〜可愛くたまらんのだろうな〜という家族へのまなざしが感じられた。

 

宗教画

ルーベンスは宗教画の大作を多く残したが、かなりダイナミックなものが多かった。そして光をバッチリ当ててるなーというのが伝わってきた。

ルーベンスの宗教画のダイナミックさというのは、旧教改革(カトリックプロテスタントが対立していたとき、カトリックが生き残りをかけて自身の改革に臨んだもの)の一環としてのものだったそうだ。宗教画にわかりやすさを求めたが故のダイナミズム。

 

『天使に治療される聖セバスティアヌス』という作品があって、これは結構色彩が豊かで印象に残った。色彩の豊かさはヴェネツィア派の影響だそう。

聖セバスティアヌスの逸話は、『黄金伝説』という書物に書かれており、その書物の中では聖セバスティアヌスを治療したのは、天使ではなく聖イレネだそうだが、ルーベンスは天使に治療されたとするアルプス以北の伝説を取り入れた。一方で、しっかり光の反射を入れているのは南イタリアの影響であり、南北の文化を融合させている作品。

 

隣には『聖イレネに治療される聖セバスティアヌス』という作品もあり、黄金伝説通りの内容での描写だった。

 

『キリスト哀悼』(cat. 25) も印象的。亡くなったキリストのげっそりした顔、白目、かなり怖かった。

 

宗教画のコーナーで私が一番印象に残ったのは、『聖アンデレの殉教』。

(殉教が棕櫚の枝で表されるの知らなかった...シュロってなに...w)

まあ〜デカい。大作。ルーベンスは自身を大作に向いてる!と自信満々だったそうだけど、その自信通りまんまと圧倒されてしまう21世紀の私。

とにかくダイナミック。表情も豊かで今にも動き出しそう、絵とは思えない。風が吹いているのを感じるし、馬も今にも動き出しそうだ。

登場人物も多いのに、十字架がX字型になることで手足が広がり印象的になり(音声ガイドより)、光も当たっていてしっかり聖アンデレの殉教というテーマが伝わってくる。そして手の重なりが構図的に不協和音を奏でているというのを聞いて、なるほどなーと思ったり。しばらくぼーっとしてしまった。

 

神話

ヘラクレスの筋肉マジ最高!!!!!!ゴリゴリ!!!!!!!

 

ルーベンスの筋肉描写がすっっっごくよかった。特にcat. 54,55の『ヘスペリデスの園ヘラクレス』と『「噂」に耳を傾けるデイアネイラ』。この二つの作品は対になってるんだけど、対比がよかった。

構図的には鏡合わせのポーズ(本来は向き合ってるのが正しい展示だったらしい)。デイアネイラの方は、ヘラクレスの妻・デイアネイラが「噂」を具現化した女に、ヘラクレスの浮気という嘘の噂を吹き込まれている場面。ヘラクレスの方は、12の試練の一つ、ヘスペリデスの園(※龍がいる)から黄金のリンゴを取ってくる場面。

 

噂を具現化した女っていうのがなかなか醜いのもウケたけど、デイアネイラの丸みのある柔らかそうな肌と、ヘラクレスのゴリゴリの筋肉の差がすごかった。また、デイアネイラの方は静かに佇んで噂に耳を傾けているのだが、一方のヘラクレスの躍動感も半端じゃなかった、黄金のリンゴをとるところ。

 

同じところに、ルーベンスとフランス・スネイデルスの共同作である「ヘスペリデスの園で龍と闘うヘラクレス」っていうのがあって、ルーベンスヘラクレスを、スネイデルスが龍を描いてて、テーマとしては同じなんだけど、躍動感が全然違った。

 

スネイデルスの龍の方が、ルーベンスが描いた龍よりもウロコとか細かいし筆致も丁寧なんだけど、龍自身は静かに対峙している感じ。さっきのデイアネイラと対になってるヘラクレスの方の龍は、躍動感に溢れてる感じで、同じテーマでも別の人が描くと随分違うんだなと思った。

 

聖アンデレの殉教も、ヘラクレスとデイアネイラの対になってる作品も、ルーベンスが亡くなる2年前、1638年の作品なんだけど、亡くなる直前まで何百年も後の人の心を掴める作品を描けるってのはやっぱりすごいことだなあと思った。

 

そのほか

あとは箇条書き。

・『パエトンの墜落』

高慢への戒め、支配者の能力の必要性を表す。光の表現、躍動感がすごい。人数もかなりいるのに、パエトンが中心人物であることがよくわかる。

 

・『ヴィーナス、マルスとキューピッド』

マルスがハリウッド俳優かってくらいイケメン。最高。

 

・『エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち』

有名な三姉妹のやつ。大作。表情の表現がすごいと思った。

 

ムンク

【公式】ムンク展ー共鳴する魂の叫び

めっっっっちゃ混んでた。9:50に行って20分待ち。開館9:30なのにねぇ...

 

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音声ガイドは福山潤さん。めっっっっっちゃいい声だった。ミケランジェロ展の安元さんの時も思ったけど、声優さんがガイドをやると画家の言葉とかをめちゃくちゃ演じてくれるので楽しい。

ていうか、公式マスコットキャラクターの「さけびクン」も福山さんが当てていて、しかもなぜかイケボで当てていたのでかなりウケた。

 

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(公式ツイッター @munch2018 より)

これがイケボ。ヤバすぎ。YouTubeチャンネルもあります。

「今日は一緒に展覧会を見れて叫びたいくらい嬉しいよ」とか「ここは叫びの絵のようなフィヨルドを一望できるところがあるんだ。そこで君のために叫ぼうか?...えっなにをって?それは...そのときまで秘密さ」とか言われたんだけど、あれはシニアや男性諸氏はどう思うのだろう...と思いながら5回くらい再生した。ありがとうございました。

 

ムンクルーベンスとは違って写実性というより精神世界〜という感じ。絵を見たというよりも、画家の人生を絵を通してみた、というところがあり、大変エネルギーを使った。人生を通して「生き血」を注いで(注:画家談)描いた絵を100枚以上。そりゃ疲れますね笑

 

ムンク、幼少期の母と姉の死、女性関係で相当悩んだんだね...というのがよくよく伝わりました。

お姉さんが亡くなった記憶を描いた、『病める子』のシリーズは、静かに死を見つめているかのようなお姉さんが描かれていて、はっとした。エッチング・ドライポイントだからこその静けさなのだろうか?

 

ルーベンスは、年代ごとに明らかに作風というか躍動感とかが変わってるなーってのが素人目にもわかったのだが、ムンクはあんまりわからなかった。精神を病み始めた30代前後くらいからは結構変わってきたようだったけど...

同時期に、写実的な作品と精神的イメージの世界を描いた立体感の少ない作品とがあって、過渡期だったのかなあとか思ったり。

 

あと、ムンクがこんなに版画を描いていたのは知らなかった。結構版画あるんですね!無知でした。多色刷りをしてみたり、同じモチーフを違う色で出してみたり、画期的なことをやっているとは存じあげませんでした!ごめんね。

 

『叫び』『絶望』

印象に残った作品は、まあ当たり前っちゃ当たり前なのだが、『叫び』『絶望』。

超並んでて、最前列で見る人用の列と、2列目以降で見る人用の列があり、最前列で見る場合は立ち止まっちゃダメとのことで、歩きながらしか見れなかったので全然しっかり見れず、結局2列目からじっくり眺めた。

 

眺めて思ったのは、『叫び』に案外明るいイメージを持ったこと。いや、自然のつき刺す叫び(だっけ)を聞いて耳を塞いでるわけだから、当然暗いもんだと思ってたんだけどね、思いのほか明るい色合いだったんだよね。

『絶望』とは構図とかかなり似てるんですけど、違ったのは、『絶望』よりも橋が明るい色だし、空とかによりうねりがあって、結構動きがあること。『絶望』の方が陰鬱としていた。

 

『叫び』、色合いとか意外と明るくて、やっぱ実際に見ると違うんだなーと思った。ただ、うねりが激しい分、より「叫び」による世界の歪み、みたいなものは感じた。叫びによって世界が歪んで、だからこそ耳を塞いでる、みたいなの。『絶望』はまさにタイトル通り、陰鬱としていて、なるほどなと思った。

 

そのほか

箇条書き。

 

・『接吻』

男女が抱き合ってキスをしている作品たち。抱き合っている二人は境目などないかのように見える。

ツイッターでもバズってたけど、音声ガイドの「愛の本質は個人の喪失」という言葉がすごく耳に残った。確かにそうかもしれない、今までに聞いた愛の定義で一番しっくりくる。

 

油彩の『接吻』は、カーテンが閉まり、外の明るい様子がカーテンの隙間からチラリと見えている。部屋は暗い。服を着た二人が抱きしめあっている。そういったところから、静かにひっそりと、逢瀬を楽しんでいる感じがした。二人しかいない世界、しぃんとした静寂。ムンクが人妻を恋人にした時、こんな風に会ったのかなあと思ったり。

 

一方、エッチング・ドライポイントの『接吻』は、カーテンも開いているのに服も纏わず、裸で抱き合い、キスをしている。随分開放的だ。二人しかいない世界であることは変わらないのだけれど、隠すこともなく堂々と楽しんでる感じ。ムンクが足繁く通ったというボヘミアングループの開放的な恋愛の思想を感じた。

 

モチーフは同じなのにこんなにも違うとは!びっくりです。

 

・『マドンナ』

官能的。この妖艶さ、『ブローチ、エヴァ・ムドッチ』の肖像画に通ずるものを感じた。眼差しの妖艶さがすごい。体の傾け方も。

 

・『目の中の目』『別離』

前者では女性の赤い髪が男性に伸びている。後者では、別れたと思われる男女の、男の方から女性の方に髪が離れつつあるところみたいだ。

 

ふたりの境目がなくなり、個人を喪失することが愛の本質だとするなら、境目を無くそうとしているまさにその瞬間が前者、後者は一体となった二人がまた分裂するところなんだろうか?

『別離』からは、自分の一部となった彼女と別れ、離れる苦しみが伝わってくる。身をもぎ取られるような痛みというか...男性が胸を抑えて耐えている苦しみとはそういうことだろうか?

 

・『生命のダンス』

一見明るい色彩だけど、結構グロい。怪物みたいな男もいるし...

 

・『黄色い丸太』『疾駆する馬』『太陽』

『黄色い丸太』は遠近がすごくて吸い込まれそう。『疾駆する馬』は馬の走り方が躍動感に溢れていてすごい。しかも結構馬が写実的。『太陽』はとにかく明るくて、今まで見てきた感じとのあまりの違いにびっくりした。

 

・『星月夜』

美しい夜空。晩年の絵がめちゃくちゃ明るくて驚いてしまう。まさかムンクがこんな感じの絵を描いていたとは思わなかった。

ほかにも、『浜辺にいる二人の女』『二人、孤独な人たち』とかも昔の版画の色を出し直しているが、色が随分明るくなってマジびっくりした。『浜辺にいる二人の女』とか、マジ死神と女かと思ったのに。むしろ明るくなりすぎてポップになってたよ。

 

なんていうか、私は昔の病んだ感じも、色彩豊かな晩年も、どっちもいいと思うけど、インディーズバンドがデビューして「昔の方がよかった」とか言い出すファンみたいに、「昔と違いすぎやろ」と思った笑 いいかどうかは別にして、落差がすごい。

 

・『狂った視覚』

画家が高血圧により右目の血管が破裂した時の記憶を描いたもの。前景によくわからない赤とか紫赤のどす黒い何かが描かれている。

これを見たときに、さぞ痛かっただろうなと思ったし、絵を描く画家が視界を大きく変えられた時の衝撃はどれだけだったろう、と思った。

 

ブラックジャックのなかで、水爆にやられた画家が、脳以外の全ての臓器を他人のものに変えながらも(変えたのはもちろんブラックジャック)、生き絶えるその最期まで、水爆に苦しむ人を魂を込めて描く、というエピソードがある。彼は一旦は絵を完成させるのだが、やはり全然ダメだと言ってもう一度筆をとって魂をかけて描いて完成させたのだけれど、そういう、なんていうか生命をかけた苦しみみたいなものを感じた。迫力と、おどろおどろしさ。晩年の作品の中ではもっとも目を引いた。

 

・『自画像、時計とベッドの間』

先ほどの『狂った視覚』に比べて随分静かな絵。画家のだらりと下げた手は死を受容しているかのよう。右上にある白い人間のようなものはなんだろう?

でもとにかく静かな死へのまなざしだった。亡くなった姉を描いたときの眼差しとはまた違う。あれは、死を覚悟する静けさがあったけれど、この絵は覚悟するというより、ただ受け止める、その時を待つ、というように感じた。

 

 

気になったのは以上です!面白かった。

美術館行ったら必ず文字化するってのは時間的に厳しそうだけどまたたまにでも書けたらいいな〜