VOICARION Ⅲ 信長の犬 感想 演出、音響、音楽編
2018 9/2 夜公演(千穐楽) 見てきた感想その2です。相変わらずひたすら早口語りをしています。
博多座、VOICARION Ⅲ 信長の犬、感想。
https://turkey-a-san1102.hatenablog.com/entry/2018/09/03/012635
↑こちらの続き。ここでは、1. という目次で、脚本、物語の筋、言葉遣いについての感想、読解を私なりにしてみました。ぜひ。
以下、演出、音響、音楽について語り尽くします。
※ツイッターから村中さんのお話を見に来た方へ。
このブログは大変長いです。村中俊幸さんから伺えた大変貴重なお話だけ読みたい方、下の方〜〜〜〜の「追記2」の部分までスクロールしてください。
デカいピンクの文字で始まる部分。
村中さん、ありがとうございました!
とはいえ、各セクションについて語りまくっているので、もしお時間があれば、読んでってくださいな。声優さんの名演技にとどまらない、各セクションの素晴らしさを分かち合おうじゃないか。
2. 演出の感想
藤沢先生のブログです↓
そうやって連携して垣根超えてみんなで作ってるんですね...最高.......
a. 空間演出
舞台がとにかく広い!!!!マジで広い!!!!!!
劇団四季の観劇をしたことが一度だけあるんですが(ノートルダムの鐘、あれも号泣して、終わった後友達と超オタク語りした)、
劇団四季の舞台、私が見た場所は舞台が比較的狭かったんです。キャストの動きとか見てるとスムーズすぎて狭く感じないんですけど、マジであれは動線めちゃくちゃ練習してんだろうなと思うくらい。
そういう狭い中で、凄い勢いで舞台装置が入れ替わっていくんですよね。あれはあれで職人技。好き。
で、歌舞伎座(こちらも数回しか行ったことはありませんが)はね、劇団四季よりは広い。舞台装置もかなり大きいものを使ってきますし、波とか出てきて布をバッサバッサ振ったりするし。荒事の迫力なんて本当にすごい。アクロバティック。
で、ですよ。
この2つが目じゃないくらいめーーーちゃくちゃ広いんです。舞台。
だけど劇団四季でも歌舞伎でも、役者さんが動くわけじゃないですか。朗読劇は朗読な訳だから動かないのですよ。だから、本当なら広すぎてポツン....みたいな事態になってもおかしくない広さなはず。
なのに!!!迫力がある!!!
つまり、空間演出が素晴らしいと思いました。
上から大きな布が垂れ下がっているのとか。
(あれは船の帆のように感じたんですが、どの場面で垂れ下がりましたっけ...一気に垂れ下がって「ウワァ!」って思ったんだけど、絶対あれも帆が降りて出航とか意味がある演出のはずなのに圧倒されすぎてどの場面だったか忘れた...覚えてる方どなたか教えてください.........DVDはよ......)
高さも奥行きも上手いこと使ってましたよね〜すごい。
※追記 5/25(いつ追記してんだよ…という…すみません)
ふくおかのひと (106.180.48.244) |
こちらコメントにてご指摘いただきまして、博多座の舞台は横幅が歌舞伎座よりだいぶ狭いとのことでした。目の錯覚……いやーありがたいです。調べず体感で書いててすみませんホント、、。というわけで訂正させてください。歌舞伎座より横幅がだいぶ狭い、のに、広く感じてしまうほどの迫力…という感じでいかがでしょう。
あとやっぱり音楽ですよね。音楽隊(?)の皆さんが、上にいるってのがまたいいですよね〜新鮮だった。
オペラとかだと舞台の前のへこんだところにオケがいますからね。今回は視覚的にも「FRONT ground music」でした。藤沢先生の言うとおり。演奏している場面が細かく見れてよかった。
b. その他(くくってごめん...)
b-1 炎と火花
まあ、炎といえばやっぱり信長さまですよ。信長さまの死ぬところですよ。
ただでさえロミ姐さまの演技で大号泣のシーンなのに、障子越しに影、というのずるい...そしてその障子が燃える(!)というのがびっくり。
低音の炎だとかで燃えないんですよ〜とのこと、諏訪部さんが仰ってましたね(そうだったんだ...)
あとは特徴的な火花ですよね。私の脳内では「よくジャニーズとかがライブでやるやつだ...」と変換されてましたが、舞台の下からブワーッと盛り上がる火花。視覚的にも楽しい。
b-2 光、照明
印象的だったのは、秀吉が、光秀とか千利休とやり取りをしている場面。二人で話してるわけだから二人にスポットライトが当たってもいいはずなのに、秀吉にだけ当たってたわけですよ。それも、上方から一筋だけ当てる、とかじゃなくて、あちこちから一人にだけスポットライト当てるからめちゃくちゃ目立つ。
前の記事についてコメントをネットで頂いた方から「裏の主役は秀吉」という感想を抱いた、と言われたのですが、まさにその通りだった。
前の記事で述べたとおり、秀吉は異質な存在なんですよね(と私は思っている)。
その秀吉の苦悩(それは最終的には解決されなかったし、されるはずのものでもなかった。ただメッセージは伝わってきた)、日輪から闇への落ち方。
ルキフェルも秀吉も生き方を「変え」ましたが、秀吉は全く違う変わり方をしてしまった。
その、「裏の主役」としてのスポットライトがすごく伝わってきた。照明さんの役割をバチバチに感じる光の当て方でした。
あとはやっぱり突然バチバチと激しく点滅したり(どのへんだっけ...これも細かいところ忘れちゃった...)、多門の「生き延びよーーー!!!」のあとの攻防の銃声とか(あったよね..??)の光の演出は大変よかった。
あれどうやってるんだろうね。舞台照明で「目潰し」という技法(強い照明を客席に向けるやつ)があるんですけど、あんなに数カ所バチバチ局所的なタイミングでやるのって難しそう。何か特殊な機械があるのかしら。
そして、やっぱり「朗読」という特性のひとつは、場面展開がわかりにくいわけです。いきなり過去に飛ぶのはやりにくい。
それを照明の切り替えで見事にやってのけてましたね。
ルキフェルが倒れそうになるときに信長を思い出すシーン、ルキフェルと信長が交互に話していましたが、あれも照明と(ドォン...という音)の切り替えがあってこそ。いや〜照明って大事!というかあの一言ずつ照明切り替えるの大変そうーとか思ってしまった。
それにしても、現在と回想で照明の色の切り替えがあったわけだけど、あの色も何か意味があるんだろうか。この回想のシーンはこういうイメージだから何色、とか。誰がどうやって色を決めたんだろう。。。
とかいうことを考えてるとね〜〜〜〜は〜〜〜〜パンフレット超分厚いやつ作ってほしい。各セクション(脚本、音楽、照明、音響、舞台装飾etc...)の細かい裏話、苦労話、こだわり、マジで聞かせてほしいです!!!お願いします!!パンフレット読みたいです!!!!!
どういう意図だったのか...とか知りたいよ〜〜〜〜〜〜!!!DVDにつけてください〜〜〜!!!いや、つけてくださらなくても作ってくださったら別売りでもホント買うからさ〜〜頼むよ〜〜!!!!
※追記
藤沢先生のツイッターより、照明の苦心ポイント↓
「陰翳礼讃」。内容を大雑把に言えば「日本の美とは陰にある」というもの。能面も文楽人形の顔も、ロウソクや薪の炎のたゆらぎが作る光と影によって「肉」や「皮膚」の感じが作られていたのに、電気の明かりがそれを殺したと。今回、照明の久保さんが炎と照明を使って苦心したのはここです。#信長の犬 pic.twitter.com/3DmKgVoiH4
— 藤沢文翁 (@FujisawaBun_O) 2018年9月4日
なるほどなぁ、、、、「肉」「皮膚」の感じは炎のたゆらぎで作られていたと.....
b-3 効果音
銃声とか。迫力ありすぎて座席でビクッとしてちょっと恥ずかしくなるやつを2回くらいやってしまいましたね。
あとは犬の声。ああいう声ってだれがどうやって作るんだろう。電子音なのかな?
犬の声に重ねて、犬役の声優さん各位が話すところ、あれ音響の調節難しそう〜〜〜〜!!!という感想を抱いたんですけどどうなんだろう。そうでもないんかな。さっきからやたら裏方が気になってしまう。ははは。
b-4 花吹雪
花吹雪の量ヤバくない????みんなの髪の毛の上についててマジで可愛い。ありがとう、絶対それ目的じゃないのわかってるけどそれが可愛かった。
花吹雪はどこの場面でブワーっと出てきたか忘れてしまった(何度かありましたね)のですが、量が凄すぎて量が凄いという印象しかない。すみません。ここまでこんだけ語って考察してきてこれかいな!!!という感じですね...ww
3. 音響の感想
ちなみに私は1階後方での観劇です。席によって聞こえ方は違うと思う。あくまで私の席で、の感想。
音響はね〜SNSで仰ってた方もいらしたけれど、全体としてはよかったの!よかったんだよ!だって号泣したもん!
だけど、うーんまあ、ちょっと残念に思うところもあるにはあった...かなぁ。やー充分迫力ありましたけどもね!!マジで。
例えば、中島さん(男性ボーカル)の声がちょっと大きすぎて、藤沢先生作詞の歌詞が聞きとれなかった...勿体ないぜ.....本当にDVD発売されてよかったよ〜!冊子に歌詞をぜひ載せてください、読んでじっくり味わいたいんや...歌は本当に素晴らしかったのですが、歌詞が〜😭😭
あと、その中島さんヴォーカルの曲のとき、チェロがコーラス部分(?)を弾いていた気がするんだけど聞き取れなかった...これは私の耳が悪いのか...
ただ、音響は大変なんだろうな、とは思った。声優さんの、低音で静かなところと、見せ場の張り上げるところで、声質がかなり違うんですよね。(悪いとかそういう意図で言ってるんじゃないですよ!だって演技がそうなのだから、それこそが素晴らしいところなのだから)
たぶん声のトーンによって響いている音域が違いすぎて、あれに生で合わせにいくのは大変なのかなと。あまり高音を響かせすぎるとキンキンするから、そこの高音成分を切り取ろう...とか、その場その場ではなかなかできないよなあ。
張り上げてるところにフォーカスを合わせて音響調節してるのかなあと感じました。低音のところちょっとぼやっとした感じの音響だったと思うので...うーん。私がそう思っただけ?
ていうか、機材はどんなのを使ってるんだろう。
「この場面は、この音響で(つまり、この辺の高音成分は切る、低音成分を多めに響かせる、など)やろう」っていうのをパターン化して機械に覚えさせて、
「あ、この場面だ、じゃあこの音響で」とボタンひとつ押せば予め作っておいた音響が再現できるっていう、所謂「デジタルミキ」(ってありましたよね?)を使うんだよね?きっとね。違うのかな...ううむ。
(私機材詳しくないから細かくは語れないですが...)
うーーーん、でもさあ、声優さんって毎回演技が違う(ナマモノなので)わけだから、あらかじめ音響作るとかできないよね...だいたい、最初で最後の全員揃うリハ、みたいな感じで言ってたのに、そんな細かく音響調節とか無理だよね?!音響とか舞台ごとに全然違うし...
ええっ、っていうことはリアルタイムで演技聴きながら音響調節するの?マジで?作業量がヤバい、プロだ.......という気持ちです。
はーだから、まあたしかに作詞聞き取れたら...とは思ったけどそれ差し引いたってマジですごい。本当にすごい。だけど、強いて言えば....というくらいの素人の喋りなので!叩かないで!ああ!
何はともあれ、ですね...
張り上げてる部分の音響はすごかった。迫力ありすぎて身震いした、鳥肌がたった。いやほんとすごいよ。本当にそう思うよ。
そういう音響の苦労話、裏話、こだわりの数々、めっちゃ聞きたい。キャストトークももちろん欲しいけれど、音響とか舞台装飾、照明etc.トークも超聞きたい。どうかパンフレット作ってください。お願いします。絶対に買う。(2回目)
4. 音楽
音楽ねーーーーよかったですよねーーーーー
和洋折衷、最高。篠笛の音の、ある音から別の音に変わるときに、その途中の音がちょっと混ざりながら別の音に変わるじゃないですか。
(例えば、ドからミに行く時、微妙にレが入る、とかそういうこと)
その和風感がよかった。
フルートの音も柔らかくて好きですが、篠笛は凛としてましたね。一本の筋が通ってる感じ。男性ボーカルと同じメロディラインを奏でてたけど、男性ボーカルの声に負けずに一階後方までバッチリ聴こえてた。すごいわ。もちろんマイクはあるだろうけど、すごい。
で、鼓とその合いの手的な声(アレってなんていうんですかね?)もまたよかった。鼓がドラムと一緒に三連符叩いてるのカッコ良すぎてびびった。うーん、良い。
※追記 アレは、「掛け声」というのだそうです。↓福原さんのツイッターより
鼓を打つ時にヨーとかホーとか言うのは、何て呼ぶんですか?とたまにご質問頂きます。「掛け声」と呼んでいます。
— 福原千鶴 つづみ (@fukuharachizuru) 2018年9月4日
古典的な演奏=(私の場合)長唄などの三味線音楽と演奏する時 は、どんなフレーズを打ち、どの声を出すか厳密に決まっています。
VOICARIONの時は、曲や台詞に対してかけていました。
ロックと鼓も合うのびっくりしましたけど、鼓とチェロが合うのもびっくりですよホントさ!!!可能性って無限大なんだね!!!
鼓とチェロって合うの?すごくない?自然に受け入れてしまったけど、あそこのデュエットすんごくかっこよかった。
歌は、さっきも言った通り、歌詞を知りたいーの一心...曲は本当に雰囲気に合っていて、じわじわじわーーーっと心に響いて、もう充分に大号泣したんですが、歌詞が知れればきっともっと響いたはずや...!
※以下のひとまとまり、追記
藤沢先生のブログ読んでて思ったんですけど、あまりに自然すぎて受け入れてたけど、見せ場のセリフでサビが来るように生演奏するって冷静に考えてすごすぎるな.....
年末のコンサートで、元日になる0:00ピッタリに終わらせるクラシックコンサート(ジルベスターコンサート、いつか行きたい)がありますけど、あれと似たようなものを感じる。1秒ズレたら大惨事。
だけど、あのコンサートと違うのは、あのコンサートは時間(つまり一定の速さ)に合わせにいくわけですが、今回の場合は、合わせに行く方(つまり声優さん)が毎回速さが(当然人間なので)違うわけですよね。それに1秒の狂いも許さず合わせるって人間業じゃないだろ.....すごい.......(追記終わり)
あと、ちょっと思ったのは、これ私の聞き間違いかもしれないので、もう一度はやくDVD見たいんですけど、ドラムのタムとタム(デカイ太鼓みたいなやつ)の間をつないでるような、銀の、本来楽器として叩かなそうなところを叩いてませんでした?双眼鏡で何度か確認したけど、叩いてた気がするんですけど...
なんかねー、そこを叩くと、鼓とはまた違った、不思議な感じの音が出てたんですよ。いいスパイスになってて。うーん聞き間違いかなあ。ドラムでそこ叩くの?!とびっくりした。
※追記2
なんと!!!ドラムを叩いていらした村中俊幸さんにその部分を質問したらご返信がいただけました!!!
村中さんからブログへの掲載許可をいただいたので、その部分についてのスクショを載せますね。↓↓
村中さんの優しさ溢れるご回答でした...リムショットも聞き分けられない私に優しく教えてくださって...
なるほどなぁ。リムショット、あるいは和太鼓の柄だったのか...もしかしたら後者かもしれないな....
いずれにせよ、ドラムに詳しくないワタクシ....聞き分けができなかったぜ....
しかし、プリセットを曲ごとに変えるって本当に作業量がすごい...そこまで見れてなかったや....
和物をプリセットに入れているとのことで、ドラムセット1つだけでもまさに和洋折衷がなされていたんですね。
綿密なリハーサルを経ての調整、作曲、対応。本当にすごいです。人間業じゃない。見てよかった〜〜
村中さん、本当に本当にお答えくださってありがとうございました😭😭 お優しい方でした。ネットでいきなり質問したのに、詳しくすぐにお答えくださって...村中さんの優しさがすごいです.......またきっと、いえ、絶対に!!見に行きます!!
そんな素敵な素敵な村中さんのオフィシャルサイトはこちらです↓
http://drumuranaka.wixsite.com/toshimuranaka
(追記2、終わり)
総じて、上で音楽、というのがよかったですね。BGMじゃなくてFGM。FRONT。
あとはやっぱり本当に大事な場面で、無音になるのがまたよかった。無音って大事ですよね。心臓の鼓動すら聞こえてきそうな痛いほどの静寂のなかで、声優さんたちの演技を聴く。見る。それで、そういうときの照明がね、だいたい静かなんですよ。上方からスポットライト一筋。
無音の贅沢さ。シンプルな贅沢さ。
それはやはり、盛り上がるところの音楽、照明、演出があってこそ。うーーーん本当に贅沢だわ。DVD発売最高。ありがとうございます。
あれーまーたこんなに書いてしまった。
次回、衣装と演技、最後のご挨拶について語り倒します。次回でラスト!のはず!ww
次回でラストになります、衣装、演技、挨拶編↓
https://turkey-a-san1102.hatenablog.com/entry/2018/09/04/131927
#VOICARION #ヴォイサリオン #信長の犬 #藤沢朗読劇 #博多座
#石田彰 #井上和彦 #鈴村健一 #諏訪部順一 #浪川大輔 #保志総一朗 #藤沢文翁 #朴璐美
VOICARION Ⅲ 信長の犬 感想 物語編
2018 9/2 夜 博多座にて。
VOICARION Ⅲ 信長の犬、見てきました。藤沢朗読劇。
そんなわけでネタバレごりごりの感想です。クソ長い。
途中でいろんなセリフを引用しますが、うろ覚えですので悪しからず。何なら間違ってるところもあるかもしれないです
そして私が見たのは千秋楽のみ。です。
今すぐもう一回見たい
まずは藤沢先生の公演前のブログの数々(このブログ内にリンクがさらにあります)↓
「信長の犬」と願い | 藤沢文翁オフィシャルブログ Powered by Ameba
千秋楽を迎えた後の藤沢先生のブログ↓
VOICARION「信長の犬」千秋楽 | 藤沢文翁オフィシャルブログ Powered by Ameba
1.物語全体の感想
a. 「犬」という言葉
「犬」という言葉って、「主従」という意味を日本語では含むと思うんですよ。しもべ的な、少し侮蔑的なニュアンスが入る...と思う。普通は。
そういう、普通なら少し侮蔑的なニュアンスが入るはずの単語がキーになっている、題名になっているというのがすごく印象的でした。今回のルキフェルはそういう、「犬」ではないから...
b. 主従のかたち 関係性編
主従のかたちがたくさん描かれてましたね。
b-1 信長とルキフェル
THE 王道の主従。主従という名目、飼い主とペットという名目なのかもしれないが、そんな名目をつけるような上下関係はなく、名前をつけられない関係性...仲間、同志のような?感じ。
信長に対し、「お前は世界の王になるのか」ということをルキフェルが聞いたとき、普通は「yes」「no」のどちらかのはずですが、信長はどちらでもなかった。
「"一緒に"世界を見よう」
と言ったわけです。ここがものすごーーーーく印象的だった。
世界の王になる信長についていくルキフェルはやっぱり主従でしょう?だけど、「一緒」なんですよ。対等。ここが最高でした。ああ、あくまで対等なんだって。はあ、、、、幸せになって、、、、、なったけど、、、、、、、
だからこそ、あとで信長が自身の死に際してルキフェルに言う「お前はこの信長の犬なのだから」大丈夫だ、東へ行け、という言葉が響く。
信長の犬、そう、ここで「犬」という言葉を対等な関係性に使う。ここでは普段辞書的に使う侮蔑的な意味は一切ないんですよ。そこに泣いてしまった(いや深読みなのかもしれないけどね...だって実際、ルキフェルは犬だし...でも勝手に解釈して深読みするのが好きなだけだから許してくれ...)。
b-2 多門と資正
こういう主従関係大好きなんだよーーーー!!!!!ウワーーーーーー!!!幼馴染ーーー!!!!!
基本的に多門がいつも注意しまくってる(ここの石田さんの眉間のシワ万歳。眉間のシワ、万歳)のに、資正をいざ馬鹿にされると、静かに怒る多門。ありがとう。生きててよかった。みんながギュンギュン来たところだと思ってる。
多門の、資正を怒るときの眉間のシワもいいけど、石田さんの優しい〜目線も良かった。瑠璃丸がいなくなって寂しいとか、そのあたりの。はあ。目線で語られるとだめなんだよ〜泣いてしまうんだ〜〜〜
えーっと、、、
ここの二人は乳飲み子なわけですね。つまり言ってしまえば武家としての主従。しかも父以前の代から主従なわけで、この時代で最も普通の主従なわけですよね。典型。
b-3 信長と秀吉
ここだけが唯一異質な主従関係。
本来秀吉は信長が好きで、主と信じて疑わなかったはずです。「信長のために生きたい」「信長のために死にたい」、いずれにしろ、「信長のために」が本来はあるはず。
それなのに、いつの間にかそれが消えて、「信長になりたい」になってしまっていた。
「信長になりたい」のはなぜかと言えば、それはもはや「信長のため」「主君のため」ではない。「自分のため」なわけですね。
先ほどb-1で挙げたシーン、信長の「世界を一緒に見よう」というところ。
秀吉は千利休に対し、「朝鮮を、明を征服する」、つまり「世界の王」になりたいと語るわけです。
信長と秀吉の違い。ここがまた対照的だな、と。
つまり、「信長になりたい自分」は「信長にはなれない」という残酷な事実。
日輪のような人間が月を追ううちに闇になってしまった...と。
しかも、秀吉はそこに自覚的ですよね。時折寂しそうにする。郷愁をのぞかせる。「殺しちまった」と後悔すら見せてしまう。
つまりなりたくない自分になっている事実に気づいてる。
ここが辛いんだよーーーーー!!!!アーーーー!!!!!辛!!!!浮き世つら!!!!マジミツバねえさまが送ってきた煎餅(まえもち)くらい辛いんだよ!!!!!土方も泣いちゃうよ!!!!!!
秀吉が最後まで自覚的じゃない(つまり、なりたくない自分になってる、と気付いていないで、ただひたすら悪の道を「正しい」と信じて突き進む)方が憎めたのに、、、!!!
こうやって郷愁を見せるの。後悔を見せるの。寂しそうな目をするの。だから憎めない!!!!!秀吉!!!!!!!
天下泰平という目的のためには中国大返し(10日で光秀を討ちに帰ったやつです)をやっちゃうんだよ!!!!!
はい。だからまあ、これは余談だけど、秀吉は中国大返しのとき何を思ったのかなと思いました。
だってなりたかった主君(信長)を秀吉が唆して光秀に討たせたわけでしょ。
で、その光秀を、主君(信長)の仇!として討つっていうのはさ、もう決定的に戻ってこられないところまで来てしまったのだから...嘘で塗り固められてるんだもの。
賽は投げられた的な感じで、後には引けない気持ちだったのか、葛藤がありながらそれを隠してあの「喧嘩祭りじゃ」を言ったのか、それともあの時点では自分は間違えたとは思わずに叫んだのか...どのルート選んでも最後には後悔と自覚と郷愁がくるんだよつらすぎない?つらすぎますね。
なのに全体として秀吉(というか鈴村さん)は笑顔でいるのがまたつらい。はい。
b' 秀吉と千利休
ここは正確には主従じゃない(千利休って商人でしょ?)から、b' でいきますね。
千利休は秀吉を「人柄が好き」だと言った、だから暗殺に加担しなかったのだと。それが日輪でなくなってると...
千利休は秀吉に対して、割と説教をする。秀吉は聞かない。大儀であった、そして殺すわけですよね。
これねーーー秀吉は自分の「理性的な部分」を殺したのかなと....もう元には戻れなかったってところ。「天下泰平のためには仕方ない」「戦をしないためには戦を捨てなければならないこともある」、自覚、理性への言い訳なのかなあ。
千利休が自分の理性の投影、そして千利休を殺していよいよ元いた楽しい時代には帰ってこられなくなってしまった...つらいね.......(でも結局それすら殺しきれずに後悔もしてるわけだけど、千利休を殺したことで、決定的に戻れなくなったってところが大事なのかな?と)
そして最後に千利休が一服立てるところ。暗殺の道具にも出世としても使ってきた、お茶。最後にそれを秀吉のために立てて死ぬ。はあ....つらい.......またこのときの和彦さんの悟りきったようなお顔が.......
c. 主従のかたち 死と生編
第2幕の頭、能のあとの和音、めーーーっちゃオルガンっぽくて、バロック時代を思わせる和音だったと思うんですけど、あれ教会、神聖さすら感じさせる和音。死と生がテーマと思わせる和音。あれがまた最高に印象的だった。センスの塊すぎる。チェリストの方が音楽監督だし、クラシック畑(なのかな?)ならではの。
さて、そんな死と生についてです。
主従関係の死と生は
・「あるじのために死ぬ」
・「あるじのために生きる」
という観点。
c-1 信長とルキフェル
ルキフェルは、「あるじのために死ぬ」を選びたかったのに選べなかった。嘘のために...そしてルキフェルはこの考えを変えていく...と。
c-2 多門と資正
多門は「あるじのために死ぬ」を選ぼうとしたが、ルキフェルと会話をして「あるじのために生きる」を選んだ。そして、生き残る。
まあ正直、多門とルキフェルだけになって、「百人いれば充分」とか言い出した時点で、私は「何このフラグ...死ぬの...?死ぬのか...鬱展開...」という脳内だったんですけど、よかったーーーーーー死ななくて。万歳。(虚淵脚本だったら死んでると思う)(適当)
さて、これがさ〜もうよかったポイントしかなかったーーーーーーわけですよ
ルキフェルは「あるじのために死にたかった」
これを、瑠璃丸が変えていくわけですよ。瑠璃丸が「あるじのために生きた」その生き様を見る。そして、最後に「綺麗な瑠璃色だ...」と看取るわけですよね。はあ。つらい。
で、ここのシーンには「見てみよ、満月だぞ」と。瑠璃丸を看取ったとき、満月なんですよ。
月といえば信長。信長さまも見ているなかで、ルキフェルはその考え方を変える。信長の嘘にいつまでも苦しむルキフェルは、瑠璃丸の生き方を信長さまの月に照らされながら、ここで受け入れるわけですよね。
そして、多門にルキフェルが「あるじのために生きる」当たり前のことだろう!っていうんですよ、当たり前って、、、当たり前っていうの...あなたがついにその境地に達したの......
で、またさ〜訥々と、多門がルキフェルに、瑠璃丸が死んで寂しい、と言うんですよーーーー犬嫌いなのにーーーー
いやでも、犬嫌いっていうか...犬に噛まれた、犬が怖い、何を考えてるかわからないからってだけなわけで、本当に毛嫌いしてるわけじゃないし...あーつらい。ここにもまた、資正への、忠誠?主従を超えた何か?を感じてしまう。情がね...
いやーこのあたりはもう号泣。だめ。無理。このあとの石田さんの「生き延びよ!」で大号泣ですよ。個人的にはコードギアスの「生きろ」を思い出しました。スザクゥゥゥ!!!!!
c-3 信長と秀吉
先ほども述べた通り、ここは異質なんですよね〜〜〜
秀吉は「あるじのために」どうこうではなく、「自分のため」に生きたからこうなったのだ、というメッセージをビンビンに感じる。
c' 余談 「家臣」という言葉について
ここまでは「家臣」なんですよね。だけど北条氏は「手下」だったわけですよ。「家臣」には血の通う情があるけど、手下はいわば道具なんだな、と。なるほどね〜〜〜そういう言葉遣いね〜〜ハァ〜〜〜〜!!!
という感じです。
c'' 余談 明智光秀について
ここまで、明智光秀について一切書いてないんですよ。私は明智光秀だけが上手く掴めなかった。結局秀吉にいいように踊らされたっていうだけなのかなァ
ルキフェルの主人に信長。信長の家臣に秀吉を置いて、ここが異質な主従。資正と多門の典型的武家の主従。瑠璃丸はルキフェルの考え方を変える立ち位置。千利休は秀吉の考え方を変えようとしたができなかった。
アレ?明智光秀は?となるんですよね〜〜〜〜うーん。明智光秀ってなんだったんだろう。明智光秀からの構造的な立ち位置を上手く見出せなかった。そこが私の読解力不足、無念ナリ。
d. 物語ラスト
全体として主従を超えた情の美しさ、生への執着の大切さというメッセージ性と、あるじの生死が同じだったので、信長が死ぬところはつらかったけど、結局はハッピーエンドだった。綺麗な終わり方。鬱展開も結構好きですが、ハッピーエンドも普通に好きなので、素直な展開でよかった。
最後、「嘘はないんだな」という言葉に対して、「嘘はもう終わりだ」という信長の言葉で、
あーーーーこれで嘘が終わりなんだ、もう嘘をつく必要がないんだ、と思って泣き、
「終わりのない世界を一緒に見よう」で、あーーーーもう終わりがないんだ、あーずっと一緒にいられるんだ、よかったね!!!と言って泣きしました。
終わりという同じ言葉を使って泣かせにくるのずるい。泣いてしまう。またここで諏訪部さんの声がどんどん若返っていくのがもうね、情景が脳内に浮かびますよね。プロってマジですごい。すごいわ。
えーと本当は演出、音響、演技、衣装、最後の挨拶の話までもうアレからコレから語りたいんですけど...字数が多すぎてアレなので続きはまた今度...
続きました↓
https://turkey-a-san1102.hatenablog.com/entry/2018/09/03/194620
演出、音響、音楽などについて語っています
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